平成28年度秋季企画展  齋田家と世田谷代田の歴史

江戸時代、世田谷代田の開発の中心となり、代田村の名主を世襲し、 明治に入ると広大な茶園を造営して、製茶業で栄えた齋田家。 その歴代は、農業のかたわら詩書画などの文芸に秀でました。 本展では、伝来の古文書や書画などから齋田家と世田谷代田の歴史を探ります。

会  期 2016年9月5日(月)〜2016年12月21日(水) 
休 館 日 土曜(但し第四土曜日9/24、10/22、11/26は開館)、日曜、祝日
開館時間 午前10時〜午後4時30分(入館は4時まで)
会  場 齋田記念館 〒155-0033東京都世田谷区代田3-23-35
アクセス 小田急線・世田谷代田駅南口より徒歩7分、東急世田谷線・若林駅より徒歩10分
入 館 料 300円 ※ご来館のお客様に齋田家に関わる周辺の史跡マップを配布いたします。
お問合せ 齋田記念館 ℡&Fax:03-3414-1006 

☞企画展内容


 江戸時代、世田谷代田の開発の中心となった齋田家 
 齋田家は、木曽義仲の老臣・清和源氏の中原兼遠が遠祖と伝えられ、中世には世田谷城主・吉良氏の家臣となり、天正18年(1590)吉良氏没落後にこの地に土着、帰農しました。江戸初期に代田村の開発の中心となり、齋田家八代の東野以後、代田村の名主を世襲しました。序章として、齋田家系図と齋田家の歴史を紹介いたします。

 

 明治時代、世田谷代田には茶畑が広がっていた! 
明治維新後、齋田家は広大な茶園を造営して製茶業で栄え、その茶は国内外の博覧会で受賞を果たすなど高い評価を受けました。博覧会で受賞の賞状など、齋田家茶業史料を展示し、世田谷の茶業の歴史を振り返ります。

 

 文芸に秀でた齋田家歴代 漢学や書に秀でた8代齋田東野、画に秀で博物図譜を多く遺した9代齋田雲岱… 
齋田家歴代は農業のかたわら文芸も修めました。特に、8代平吉(号:東野、1773-1852)は漢学や書に秀で、私塾発蒙塾を開き弟子達の教育にあたり、9代萬蔵(号:雲岱、1801-1858)は画に秀で、動植物を写生した博物図譜を多く遺しました。この他、10代平太郎(1821-1875)は漢詩文をよくし、11代又一郎(1858-1907)は真田謙山に画を学び、12代萬蔵(1877-1944)は木村痩仙に画を学んでいます。また、13代平太郎(1906-1994)は考古学を好み、茶畑の跡地から弥生式土器を発見し、その地は円乗院遺跡と呼ばれています。このコーナーでは、齋田家歴代の書画を、その師の書画と合わせて紹介いたします。また、世田谷区指定有形文化財の円乗院遺跡出土の弥生式土器も展示いたします。

 

 齋田家の女流文芸 近代世田谷の生んだ女流歌人 齋田小枝子 
齋田家に嫁いだ女性たちも文芸に秀でました。特に、瀬田村名主長崎家から嫁いだ10代平太郎の妻・小枝子(1825-1891)は、近代世田谷の生んだ女流歌人として知られています。小枝子は、漢学や国学に造詣の深い父長崎長十郎重行の訓育と天賦の才により、優れた和歌を多く遺しました。また、小枝子の次女・以志子の詠んだ和歌や、13代平太郎の妻・千代子が遺した俳句などもあわせて展示し、齋田家の女流文芸をご紹介いたします。

 

 世田谷代田の歴史 代田八幡神社、円乗院、六郎次山(現‣羽根木公園)… 
齋田家の歴史を紐解くことは、近世以降の世田谷代田の歴史を辿ることに他なりません。代田八幡神社や円乗院、六郎次山(現‣羽根木公園)など、地域の歴史遺産と齋田家と関わりについて、古地図や古文書などをもとにご紹介いたします。


本展では、齋田家に伝わる古文書や書画などから齋田家と世田谷代田の歴史を探ります。本展が、地域の歴史文化の振興や、その礎を築いた先人たちに目を向ける一助となりましたら幸いでございます。